いにしえ

昨日はどうしても気になっていたテーブルランドの「ヤンガバラ」のマーケットに出向いてみた。土曜日で店を閉めるというかなりの後ろめたさはあったが、今しか出来ないことと割りきってヤンガバラに向けて出発した。さて、今回は南回りのルートでケアンズから20キロ程下ったマルグレーブ製糖工場が象徴されるゴードンベールの町から右折して52号線に入り、ピラミッドマウンテンの裾野を横切ってギリスハイウエイに向かう道を選ぶ。


運転していても酔いそうになるぐらい曲がりくねった急な山道を延々と走り続けて40分ぐらいかけてやっと登り終えると、突然目の前に円みを帯びた小高い丘のパノラマが360度の空き間に広る。しばらく過ぎると段丘に作られた牧場にいる牛が自分たちを出迎えてくれた。丘の稜線と青い空が見事にくっきりと区別され、この場所は10月の春先にはジャカランタの花が咲き乱れて、丘陵は辺りいちめんがうす紫に彩られて小紋の花弁をあしらった屏風のように代わる。


やっとヤンガバラのマーケットに着くと人の多さにびっくり! 出店する店の数も多くて大賑わいだった。入口のカモノハシと木登りカンガルーのレトロな絵の看板が「ウエルカム トゥー ヤンガバラ」とお出迎えしてくれる。くまなく店を見て回り何軒かちょっと気になる所を発見して、最後は植物を少し買ってマーケットを後にした。このヤンガバラという町は実に居心地が良い。ここに並ぶ殆ど全ての建造物は州の文化財に指定されていてその数は18にも及ぶ。郵便局や床屋さん、肉屋さん、レストランの他に不動産屋から教会さらに一般の民家に至るまで歴史建造物に登録されている。いずれも全て1910~20年代に作られたものだ。普通、町にはマクドナルドやホームセンターの量販店などがまずあるがここにはそういった店が一切ない。他にもカーテンフィグツリーと呼ばれる大きな寄生植物も州の自然遺産に含まれていて、まさに町全体の景観が100年前にタイムスリップしたような開拓時代の古き良きオーストラリアを見事に感じさせる「いにしえ」の投影がある。


アーティスティックな町としても有名で至る所にアーティストの芸術が施されている。カフェの裏路地を入っていくと、薄暗い古書店を見つけた。中に入って行くとさっそく店頭に腰かけた店の重鎮が声をかけて来た。「日本人か?」「そうだよ」「どこから来た?」「横浜」「オーヨコハマ!」とドングリ目で手を広げて復唱する。「俺は日本食が大好き」だとかつ丼を思い浮かべながら満面の笑みを浮かべて語りかけてくれた。夫婦で経営している感じで6列の本棚には凄い数の古本が並べられている。外の棚の上にも無造作に古本が積み重ねて置かれていた。棚卸しが出来るのか?というほどの本の在庫で、その傍ら店の方隅で奥さんがお客さんにマシンで珈琲を振舞っていて、この調和が絶妙に素晴らしい。神田の無雑な古本屋で主人がエスプレッソマシンで珈琲を出しているのを想像してもらいたい。最後に「今はケアンズに住んでいるんだけどコロナでケアンズの観光は滅茶苦茶だ」と言うと「いつか必ず良くなる日が来る!」とほほ笑んで励ましてくれた。 


途中マリーバに立ち寄って珈琲を飲んだ後に苔を探しながら北回りで帰路に着く。いつももようにヨーキーズのビーチに犬を連れて行き、日が傾きかけた砂浜でウインドサーフィンをぼんやり見ていた。「俺もいつかまた出来るかなぁ」と気持ちよさそうにやっているウインドサーファ―を遠越しにずっと見ていた。

優しい巨人

昨日お客さんが買い物をした後に「どこから来たの?」と尋ねたら「ハービーベイよ」とにこっと笑って返してくれた。すかさず「クジラの見れる季節だね」と言うと「とってもいい所よ」と言って微笑みながら店を後にした。そうだなぁ ハービーベイは今、ちょうどクジラの見れる季節だなぁとザトウクジラを想い起こす。冬の風物詩にもなっているホエールウォッチングのベストポイントは何と言ってもクイーンズランドの南に位置するハービーベイだ。


7月から10月にかけて南極から暖かい海に向かって出産と子育ての為にオーストラリア東海岸を回遊するザトウクジラ、世界最大の砂の島であるフレーザー 島に守られて湾の入り江は安全に子育てが出来る最適な生育場所になっている。歯を持たない鯨髭のヒゲクジラの一種ですこぶる愛嬌があるクジラだ。日本では琵琶を背負った座頭に重なることからザトウクジラと呼ばれたらしい。成長した子供のクジラといっしょに再び南極に戻る長旅は1万キロに及ぶという。


歌を口ずさむのでも有名な楽匠ザトウクジラ、「唄は3分間のドラマです」と歌番組の司会のセリフで名を馳せた玉置宏さんも喫驚仰天する、歌唱ザトウクジラは何と一曲30分以上を何曲も繰り返して唄う歌手顔負けの歌い手だ。しかも歌はいくつかの旋律からなり、その旋律は句を並べて繰り返して歌うという句に精通する俳諧師でもあるのだ。


南極からの旅立ちの前には2トンものオキアミや小魚をお腹にいっぱい蓄えて、その回遊する移動中は餌を一切食べないという9月のラマダン月にも勝る断食に耐えてオーストラリアにやって来る、豪快に汐を吹き上げ海面から飛び上がって体を反らして宙を回り、背面から再び胸びれを叩いて潜る堂々たる風貌の海の王者、でもその姿は歌を奏でる優しい海の巨人だ。

大地に宿る精霊たち

ディジュリドゥという民族楽器を奏でるアボリジニーはこの楽器を使って天地天上の全ての万物に宿る精霊と交信すると言われている。。「ドリーミング」と呼ばれる独自の世界観を持ち、常に自然と共にある生き方を選ぶ、世界最古の文化を持つオーストラリアの先住民族だ。


その名前の由来はラテン語の「始まり」アブ・オリジン(AB ORIGINE)から来ていて、その起源については4~5万年にアジアから渡来したという諸説がある。アボリジニーの人々はトーテミズムと呼ばれる創生神話に由来し、昔、神々の時代に「虹の蛇」とされる創造神が現れ人間を始めとして、山や岩、動物、植物など全てを創造した。そして自らが創造した自然界に化身して大地に潜んだ。その結果、この地上の万物全てにその精霊が宿ったという。


アボリジニーは創生神話の時代つまりドリームタイムという概念の中で、この世に存在する精霊こそが自然界を創造し、万物全ての生き物が自分たちの祖先になったと信じて来た。文字を持たなかったアボリジニーは歌や踊り、絵画、語りを通じて彼らのドリーミングを表現し洞窟の壁や岩などにその生命を吹き込みながら彼らの文化を今日まで守り続けて来ている。時代に翻弄されながらもアボリジニーの人々は今も尚その文化を未来に伝えようとしているのだ。


クイーンズランドに宿る精霊は、コロナの悪霊を見事に追い払ったが、ビクトリアやニューサウスウェールズでは今尚、山火事で焼け死んだコアラやユウカリの樹の精霊たちが人間になった精霊に罰を与え続けている。世界に宿る精霊もまた同じだ。クリスマス・キャロルの本に登場する強欲でエゴイストの守銭奴を演じた眉雪エべネーザ・スクルージを著者ディケンズは精霊を通じて人々に「慈愛の精神」を伝えようとした。ここでひとつ引用したい語りがある。「世の中は上手くなっているもので、病気や悲しみは伝染するものだが、その一方で笑いや喜びもとても移りやすいものなのだから道理に叶っているということだ」。


人々にはコロナも伝染するが、笑いや喜びもまた伝染する。早く世界中に笑いや喜びに包まれる日が来るこのを望んて止まない。そしてまた我々が生きるこの自然界にも畏敬の念を持って暮らしたい。かつて白人はこう言った。「アボリジニーは5万年の間この大地を守って来た。それなのに私たちはたった200年で壊そうとしている」。自分たちは今一度アボリジニーの生き方に思いを馳せる時なのかもしれない。しかし、ワクチンの精霊はいつ現れるのだろうか?