昔のまま

感染拡大が止まらない中で「新しい生活様式」をさらに定着させていく必要があるとして、一昨日も西村大臣がテレワーク7割の推進や時差通勤などを改めて国民に要請した。今までとは違う世の中の新しい生活様式を我々はさらに模索する。


在宅勤務だったら電車も満員にならないし痴漢も減るので、通勤で電車を利用する人には良いことだけど車の利用が増えるのはマイナスかも? 身近なところでは大阪府が飲食を伴う場での5人以上の会食に自粛を呼びかけていた。小さいクラスター集団がいろいろな所で起こっていると危機感を強めているらしい。


ニュースを見ていると色々なクラスターが発生しているんだなと思ったが、中には「はしご酒クラスター」何て言うのもあったけど、植木等が生きていたらさぞ嘆いたんじゃないかな。「わかっちゃいるけどやめられねぇ」何て今言ったらきっと隔離される。谷啓の「ガッチョーン」の方がまだましかも。今ならエアータッチで感染しないからむしろ歓迎される。


六本木のクラブでは感染症の専門家がホステスに接客時の予防対策を指導していた。扇子を活用して話している時に口もとを隠して感染を防ぐらしいが、扇子を持って話さなくちゃいけないなんて寄席に行って落語を聞いてるみたい。新しい生活様式も様々だ。


オーストラリアにも太古からその生活環境に上手く合わせながらその姿を変えずに生きてきた動物がいる。アヒルのようなくちばしと大きな水かきの手足を持つ、哺乳類では最も長い間その姿を保ってきた「カモノハシ」だ。原始に始まる一億5000万年前から今の姿を変えずに他の哺乳類から分岐して続く、動物の末裔としては尚に常住坐臥の生き物である。


長らく昔のままでいられた理由は、環境が変わってもその変化に適時に順応する能力があったこと。郷に入れば郷に従えと嫌いなことでもそれを受け入れていった。
皆さんも知っての通りカモノハシは哺乳類でも卵を産み、因って乳首がないのが太古からの生き残りの証拠。これはカモノハシとハリモグラの2種類しかいない。カモノハシが長らく変わらずにいられた他の理由として、オーストラリアは水中で暮らせるように進化した哺乳類が少なかったので競争する相手がいなかったのもその一つに挙げられているらしい。


時代の流れに合わせながら環境に順応する能力が高かったカモノハシはその姿を変えずに今日まで生きてこられた。人間も何でも受け入れる気持ちが、いつまでも変わらずにいられる秘訣なのかもしれない。この我々に課せられた新しい生活様式は、今後を占う分岐点になるのだろうか?

8月の空

ケアンズに最高の季節がやって来た!朝から雲ひとつない抜けるような青い空が広がる。
プールで朝日を浴びながら泳ぐ恍惚の心地よさに、水の中で身体が蕩けそうになっていくようで過ぎるはずの時間が暫し止まる。本当なら今頃は日本からたくさんの夏休みの家族連れが訪れるはずだったが。。


8月のケアンズは素晴らしい。湿度もなくカラッとした日が延々と続き実に気持ちいい。
もしこんな日が一年中続いたらこの町の人口はきっとシドニーを超えるだろうか?
そのシドニーが今、市中感染が広がって多くの地域で再び封鎖が始まってしまった。
クイーンズランドも今後の行方を注視しながらボーダーを再び封鎖する用意があると昨日ニュースで報じられた。


日本でも旧暦では8月は一年で最も空が澄み渡り、月が明るく美しい十五夜の観月の宴が催される特別な季節。ただ今年の日本は雨が多く、昨日は七十二候の土潤溽暑と蒸し暑い歳時どおりの便りになってしまった。本当ならこんなジメジメした陰候を吹き飛ばす夏の風物詩といえば何と言っても「花火」が浮かぶ。この花火、暑い時期に涼しさを味わう「納涼」意外にも慰霊や悪疫退散の意味もあり、是非ともここでコロナを大輪の大玉で散らしてほしい。


ただ、今年はこのコロナの影響で花火大会も殆ど自粛だと思うが、それなら線香花火でも風情があっていいかも。この花火は自分の想いを惹きつけて、咲いて散るまでの儚い美しさを表現してくれる夏の弄びとも。その様子は「松葉」から「牡丹」へ「柳」と移って最後は「散り菊」と風情溢れる身近な花火だ。我々も最後は散ってなくなるかもしれないけど、日本の皆さんにはいつか8月の吸い込まれそうなケアンズの青い空を是非見に来てほしい。

元気で!

一昨日はヤンガバラに出向いて家族最後の外出のドライブになった。しばらく実家にいた息子もシドニーに帰る日があさってに迫って来た。ボーダーが閉鎖される寸前にケアンズに逃れて来て早4か月が経った。シドニーは今だ感染が収まっていない所なので、気を付けてもらいたい。そんな訳でかみさんも今は何だか元気が無い。


自分もグアムに赴任が決まって出発の当日に、看護婦をしていた母が自宅の玄関先で病院に向かう際に「元気でね、気を付けて」と短い挨拶を取り交わした後、振り向いて出ていく時に母の目には涙があふれていたのを憶えている。そんな母も今はもういない。
それ以来、両親とはずいぶんと縁が薄くなってしまった。なにせ2~3年に一度ぐらいしか日本に帰国出来なかったので。


この20年は仕事に没頭し続けて息子には何もしてやれなかった。だから息子はクリスマスもお正月もバーベキューもキャンプも家族で味わったことが一度も無い。この20年の間に3人で旅行をしたのも一度切りだった。そんな息子が小さい頃に日本人学校の授業で「うちのお父さんは毎日休まずに働いています」と書いた作文は何か少し嬉しかったのを憶えている。


クイーンズランドは鉄壁な鎖国政策で牙城を守り続け感染者は抑え込まれた。今はマスクをしている人も全くいない。たぶん今、日本人がこのケアンズを訪れたらきっとここは同じ地球上なのかと思うかも知れないほどコロナを感じさせない、感染の封じ込めに評価される岩手県のような場所である。だだこの代償は計り知れない。ここの海外からの観光はほぼ壊滅に至った。先日も市内にある老舗ホテルが長いケアンズの歴史に幕を下ろした。


人の命を守るのか? それでも経済を動かして行くのか? 世界の国がこの両立にどう向かうべきなのか、その答えを今も探し続けている。とりあえず日本はハワイとの間で観光の往来が見えて来た。是非、上手く行って欲しいしこの状況をかたずを飲んでケアンズから見守りたい。