さとうきび

真っ直ぐに伸びたさとうきびの花が高く目立ってくるとそろそろ収穫の時期、7月から11月にかけて刈り入れの季節がケアンズにやって来る。どこまで続くのかと首を長くして待つ42輌にも列なる 長い貨車に、目一杯積んだ黄色と臙脂色のサトウキビ鉄道が実りの整った畑の中を軋む音をたてながら狭いレールの上を延々と走り続ける。家から程近いお気に入りの場所であるフレッシュウォーターに連さしたさとうきび畑の生立った花が間じかに迫った収穫期の気配を告げてくれる。


クイーンズランド州の東海岸を走るこのサトウキビ鉄道の総延長は4000キロにも及び、国内の95%の砂糖がこのクイーンズランドで栽培される。またローシュガーと呼ばれるこの原糖はその85%がここから輸出されていくそうだ。この地域では20種類以上のさとうきびが栽培されていて、中でもこの熱帯雨林の暖かさが原糖の栽培に最適な要素となっている地元を代表するモスマンミルローシュガーが特に有名だ。この砂糖の生産域はデインツリーがらアサートン高原まで延べ8500ヘクタールという広大な土地に及ぶ果てなく続くシュガープランテーションになっている。


今から120年以上前の1896年から日本人移民労働者がこのケアンズの地でさとうきびの栽培に携わったと記録されている。横浜からの300人ほどの日本人がその勤勉さを買われてハンブルドンシュガープランテーションというケアンズ近郊の農園でさとうきびの栽培に寄与したと記されている。しかし、第二次大戦が始まると敵国人として強制収容を余儀なくされその後、強制送還された負の歴史がここでも繰り返された。


時は変わって今日再び日本人のワーキングホリデーの若者がオーストラリアのファームで、滞在延長の為のセカンドビザの取得を目的に地元に貢献しながら農作地で活躍している。北海道開拓の屯田兵の如く結構過酷な労働だそうだが、今後の人生の良い経験になるのではないだろうか?。今は強制送還ではなくコロナで入国拒否になってしまったが、先人が果たせなかったケアンズでの想いを是非、今の若者に後を託したい。